待ち合わせには時間があった。
俺は地下の店でも眺めてこようと、下りのエスカレータに向かった。
少しくたびれた仕事用のスーツに身を包んで、両手をポケットに突っ込んで歩いていると、上りのエスカレータから降りてくる遥香が目に入った。
遥香は俺に気がつき、ゆっくりと歩き出した。
俺は一瞥もくれずに、彼女のそばを通りすぎた。
5、6歩ほど歩くと、俺の右腕の輪の中に、彼女の手が差し込まれた。
「ようこそ、久しぶり・・・・・」
遥香は言って、歩きながらにっこり笑った。
昔と変わらぬ笑顔がまぶしかった。
「早かったね」
俺が言った。
少し照れているのが自分でもおかしかった。
「
チェックインは済ませておいたわ、ねえ、映画見に行かない?」
「
『いちご白書』じゃないだろうな」
彼女は笑った。
俺のくだらない冗談に、よく笑ってくれるのが嬉しくて、俺は彼女と付き合っていたのだ。

遥香は、人の悪口を言わない女だった。
ほめようがない無惨な映画を見ても、
「楽しかったね」
と言った。
「おもしろかった」でもなく、「よかった」でもない。
俺と一緒だから・・・・・と言う意味だ。
その気遣いが胸にしみる。
チェックアウトの時間が迫っていた。
俺はバスルームから出て、遥香の方を見た。
姿が見えず、ラジオの曲にあわせてハミングする声だけが聞こえる。
彼女は、テレビは見ない。
その代わり、部屋にいる間中ラジオを付けている。
それも一晩中、寝ているときも・・・・・
遥香はソファーにうずくまって、爪の手入れをしていた。
薄いピンクのマニキュアが、弱く光っている。
彼女はふいに手を止め、近くにある都庁を眺めた。
「前に来たときは、まだなかったよね」
下着のまま窓辺に立ち、遥香は言った。
「6年も経てば、景色は変わるさ、ここは新宿だからね」
俺は言った。
真紅のキャミソールが、まぶしかった。
ラジオからは「真夏の果実」が流れている。
遥香は振り返り、笑顔になった。
しかし、その笑顔に、無邪気さはない。
6年の歳月は、きれいなだけの少女の顔に、虞れと不安を塗りつけていた。
「また、会える・・・・かな?」
と、彼女は言った。
目に涙が光った。
見る間に涙の粒は大きくなった。
瞼からあふれ、頬を伝って落ちるのを、俺はじっと眺めていた。
遥香は、変わらず微笑んでいる。
俺には、答えはなかった。