スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

悲しい気持ち/桑田佳祐

 俺はいつものように、ベッドの横に座り、タバコに火をつけた。
 二人がいたのは、芦ノ湖畔にある、小さなホテルだった。
 それを見ていた由美子は、俺の隣にきて、並んで腰を下ろした。
 「タバコは体によくないよ」
 彼女は言って、俺が口にくわえたタバコをそっと抜くと、灰皿に押しつけた。
 開け放した窓から、羽虫が一匹入ってくる。
 窓の外は、鬱蒼とした木立だ。
 「ごめんね、やめるべきときが来たらやめるよ」
 俺は言った。
 すると由美子は、ぷいとそばを離れ、隣のベッドに身を投げた。

20050506162122s.jpeg
 突然の行動に、俺はあわてて彼女のそばに行き、髪をなでた。
 しかし彼女は、その手を振り払った。
 そして顔を上げ、
 「どうしてそんなに優しくするの、恋人にすらなれないのに・・・・・これじゃ私だけがバカみたいじゃない」
 と言った。
 意味がわからなかった。
 ベッドに腰掛け、俺は途方に暮れた。

 翌日の朝、俺は無言のままの由美子を散歩に誘った。
 芦ノ湖は、高原特有の濃い朝霧に包まれていた。
 少し湿った、木立の中の石畳の道を、ふたりでゆっくり歩いた。
 彼女はまだすねているのか、半歩ほど遅れてついてくる。
 やがて木立を抜け、芦ノ湖の湖面が見えるところにさしかかった。
 後ろから、由美子の、暖かい小さな手のひらが、俺の手の中に差し込まれた。
 俺は、やっと機嫌が直ったのかと振り返った。
 「帰らないで」
 由美子は、両手で俺の手を引いて立ち止まり、絞り出すように言った。
 何度もこのような朝を迎えながら、今まで一度も、口に出すことはなかった言葉だった。
 「無理だよ」
 俺は言った。
 『君は結婚してるじゃないか・・・・』
 俺は言葉を飲み込んだ。
 彼女だって、そんなことはわかっている。
 彼女の言葉の裏側と、言葉に込めた気持ちをわからないのは俺なのだ。
 その鈍感さが、ふたりをこんな状態に追い込んだと言っていい。
 夕べのこともそうだ。
 たぶん由美子は、喧嘩がしたかったのだ。
 俺が声を荒げて、
 「何をするんだ」
 と言い、
 「なによ、私はあなたの体を思って言ってるのよ」
 と彼女が言い返せば、夫婦喧嘩のまねごとになる。
 結婚することはないふたりに出来る、精一杯の芝居・・・・・
 悲しいけれど、「夫婦のリアル」ってそういうことだ。

 由美子はあきらめたように微笑んで、俺の手を握ったまま、突然スキップした。
 ぐるぐると俺の周りを回り、着地した。
 そして俺の顔をのぞき込むと
 「仲のいいカップルに見えるかな」
 と言った。
 俺は何も言わなかった。
 今の彼女には、何を言っても傷つけるだけだ。
 俺は黙ったまま、小さな由美子の背中を抱きしめた。

 彼女を駅で降ろすと、俺は車を出した。
 車には彼女の持ってきたカセットテープが残されていた。
 たぶん、わざと残していったのであろう。
 女は時々こういうことをする。
 俺はそのテープを、車のステレオにセットした。

 桑田の切ない声が、車内に満ちた。
 不意に涙があふれた。
 罠にはまったことはわかっている。
 車を路肩に止め、俺は天井を仰いだ。
 それでも、涙は止まらなかった。
関連記事

この記事のトラックバックURL

http://amber0502.blog9.fc2.com/tb.php/38-e93a1a18

コメント

コメントする

管理者にだけ表示を許可する

Template Designed by DW99

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。